節約と散財のハザマのワーママブログ

都内在住の30代。息子4歳+0歳。ワーキングマザー(育休中)の息抜きブログです。

私のめまい症状について。その2:脳神経内科と頭痛

耳鼻科でグランダキシンを貰って飲むも、一向に改善せず。

耳鼻科の先生も、「これで治ればラッキー。治らないことも多い」と言われていたので、

私はラッキーではなかったらしい。

 

これはなんなんだろ…。

ちなみに、耳鼻科では自律神経が少し乱れてるのだろう、という言葉もあり。

 

次に行ったのは脳神経内科

ここでも、横になってひざの曲げ伸ばしっぽいこと、脚気の検査ぽいこと、

真っ直ぐ歩いたりするような検査などしてみたが、異常なし。

やはり自律神経系とのことで、グランダキシンに加え漢方薬(苓桂朮甘湯)を飲むよう処方される。

 

…やはり効果は見られず。

 

失調症とまでは言われないけど、やはり自律神経系なんだろうか。。

 

その後、「この病気は一体何なんだろう」

「これ以上酷くなって会社を休まなきゃいけなくなったらどうしよう」

「そしたら、保育園追い出されちゃうんだろうか」

と悩んだり。

夫も、仕事が嫌だ辞めたいと言っている時期で、

さらに義母が大荒れで精神的にも体力的にも参っていた。

(義母はのちに統合失調症と判明)

この先どうなってしまうんだろうと思ったり。

 

そんなことを考えていると、

会社で仕事をしている間にひどい頭痛、耳鳴り、そしてボーッとしてしまい、

人の話す声がとても遠く、でも頭の中で響くような音で聞こえたり。

こ、、これは本当にやばい!!

あ、こうやって鬱病とかになるんだな…とか思った。(意外と冷静)

会社で周りに鬱病で長期休職した人が複数いるけど、こんな感じだったんだろうなと思った。

 

続く。

私のめまい症状について。その1:耳鼻科へ

それは突然やってきました。

 

昨年5月。

GW前に育休から仕事復帰したが、初日から子供が風邪をひき会社を休んだりしていて、

GW後が本格復帰だった。

中旬頃、食器を洗っている時(下向き加減)に、クラっと一瞬の違和感を感じる。

 

ん?

地震

 

…ではない。

あー違うか。良かった。

と思う。

 

でも、それからは

最初は数日に一回くらいだったものが、ゆっくりと頻度が増し、

だんだん、2-3日に1回、1日に1回…と増してくる。

 

何とも表現しがたい。

地震かな?と思うような感じや

お腹が空きすぎていてクラクラくる感じにも似てる。

 

9月後半に、意を決して仕事を休み耳鼻科を受診。

寝てる状態から急に起き上がってみるような検査や

追視みたいな検査を一通りしてもらうも、耳鼻科範囲では異常なし。

「お彼岸ごろ、こういう症状で来られる方多いんですよ〜」

と言われる。

そうなのか、と思い、いったんグランダキシンという薬をもらい、耳鼻科は終了。

 

続く。

 

(下の子の)育休に入ると、息子は進級できない。

目下の悩みは、2人目のタイミング。

そしてそれは、息子を保育園に行かせるか、幼稚園に行かせるか、に繋がってくる。

 

息子は0、1、2歳クラスまでの園に在園中です。来年度は2歳クラス。

しかし、卒園の時点で、私が下の子の産休育休に入ってしまっていると、4月の審査の段階で「保育に欠ける」状態ではないため、

他の保育園への転園ができなくなります。 

(私の地域の場合です)

 

ちなみに普通の6年間の保育園では、こんなこと悩む必要はなく、

産休育休中でも上の子をそのまま通わせることができます。

 

…何なのこの制度。

 

なんで、好きで小規模保育園に入ったわけではなく、普通の保育園に入れなくて、仕方なく小規模に入園したのに、

普通の保育園にいる人たちと待遇の差があるの?

 

普通の転園ができないのはわかる。

でも、小規模を満了して卒園する形での転園に関しては、進級とみなして貰って、その規定外としてもらわないと本当に困る。

 

もし今、次の子を妊娠したら、出産日は年末くらい。

そうすると、息子を6年制の保育園に転園させるには、下の子を3ヶ月くらいで預けなくてはならない。

下の子の育休を1年くらい取りたいなら、息子は幼稚園に行かざるを得なくなります。

 

0歳児を保育園に預けることを、私は望んでいません。

10ヶ月とかそれくらいならともかく、3ヶ月ではまだ預けたくない。

 

幼稚園は、延長保育対応、給食あり、働くママに優しいところがあるのですが、片道3キロ。

朝はバスがあるけど、帰りは延長保育の場合お迎えが必要。

車がないので、電動自転車で毎日往復で6キロ…。しかも仕事後に。

耐えられるのかな。。

もし3年間通うなら、2年間は下の子の保育園と2箇所通いになる。

 

下の子の育休中である1年間だけ上の子を幼稚園、とする手もあるけど、

そうすると入園金やら制服やらの無駄金がハンパないし、

一度幼稚園で教育を受けると、ここに通わせたいと、無理してでも頑張ってしまいそうな気がしている…。

 

ちなみに我が家は祖父母ヘルプはほぼないに等しいです。

義父他界、義母は疾患あり老人ホーム

私の父母は高齢。

私の兄弟も近所には住んでいません。

 

下の子の育休を1年取って、どっちも保育園に入れたいなら、

息子が転園後、4月2日以降に産休に入る必要があります。

なんなの、この緻密な計画が必要な感じ。

 

そりゃ子供なんて増えないよね。

そうこうしている間に妊娠できる可能性はどんどん減って行くのに。

大恋愛もいつかは忘れられる。

元彼を引きずっている女子に届けたくて。

私の過去の恋愛を書いてみます。

 
私は25歳で大失恋をしました。
 
23歳のとき、就職したての私は彼氏(Aくん)がいました。
同じ大学のAくんとは交際3年目。
それぞれ仕事に打ち込みお互いを思いやれなくなっていた頃、
私は職場の彼(Bくん)に猛プッシュされ、見事にBくんのことが大好きになってしまい、
Aくんと別れてBくんと付き合うことになりました。
 
Bくんとは職場も一緒で、休みの日も一緒に過ごし、絵に描いたようなラブラブっぷりでした。
職場で交際を内緒にしていたことも、私たちの恋愛が燃え上がる要因となりました。
人生で一番幸せな恋愛をしていたと思います。
 
そんな私ですが、付き合いだして約1年後の25歳の時に、本当に突然、振られました。
私が仕事のストレスから胃腸炎を引き起こして苦しみ、「つらい…」と弱音を吐いたら、
「体調を崩して頼られるのとか面倒くさいし」と言われて振られました。
 
周りの誰もに「そんなやつ別れて正解」と言われました。
Bくんは気分屋さんでした。
でも口説くのがうまいので、女には不自由しない感じでした。
 
振られた後も毎日職場で顔を合わせ、時には一日中マンツーマンで仕事をしなくてはならないため、当時の私は本当に苦痛でした。
あんな酷いことを言われても、まだBくんのことが大好きだったからです。
過呼吸になるほど泣いた夜もありました。
心にぽっかり穴が開いた感じが辛くて、真っ昼間に仕事中の親友に泣きながら電話して話を聞いてもらったこともありました。
 
3ヶ月後、Bくんは電話で「復縁したい」といってきました。
私は変わらず大好きでしたが、断りました。
体調を崩している時に支えてくれない人とは絶対に結婚できないと思ったので、
未来がない人と20代後半になって付き合うことは不毛だと考えたからです。
断腸の思いでした。
なんとか断ったけど、ずっと大好きでした。
 
毎日会うことが辛すぎ、また他の理由も重なり、振られた1年後、26歳の時に私は転職しました。
 
その後も1年に数回、誕生日とか、ちょっとしたきっかけで思い出したかのようにメールが来ました。
その度に動悸がしました。
私の心の奥底には彼がいて、毎日1度は彼を思い出している私がいました。
28歳のときに会いたいと誘われて、抑えられずに行ってしまい、体の関係を持ってしまい、
また復縁話をされましたが、前回と同じ理由でなんとか断りました。
 
Bくんと別れて3年超、出会いはたくさんあったけど、好きな人も彼氏も全く出来ませんでした。
 
私が29歳の頃に出会ったCくん。
Cくんは本気で私のことを好きになってくれて、猛プッシュされ、出会って1ヶ月後に付き合うことになりました。
 
Bくんの時は燃え上がるような恋でしたが、Cくんとの恋愛は本当に自然でした。
Cくんのことを少しずつ好きになっていく自分がいたし、
Cくんは本当に私のことを大事にしてくれ、いつも愛情を感じられる楽な恋愛でした。
 
31歳で私はCくんと結婚しました。
この頃は、「Bくんのことは好きだけど、結婚はできないからしょうがない。
Cくんと結婚はしたけれど、人生で一番好きだったのはBくんで、ずっと一番。大切な人」そう思っていました。
 
33歳でBくんと再会。
それまでもなんども誘われていたけど、Bくんに会うのは、「今なら会ってもBくんになびかない、という自信ができたら」と決めていました。
この日は2人でお酒を飲んだだけで無事に終わりました。
Bくんはあの頃のままだったし、相変わらず口説いてくるし、話は合うし楽しかったけど、羽目をはずすことはしませんでした。
 
そこからはBくんから前より頻度の多いメールがあり、その度に返信だけはしていました。
私は、やっぱりずっと好きな人だなー、と思っていました。
 
34歳で私は出産しました。
子供が出来て、やっと私は、Bくんのことが心からどうでもよくなりました。
それまではメールがくるとドキドキしたし、「まだ私のことを気にかけてくれているんだ」と嬉しくなったけれど、
今はメールが鬱陶しいし、メールが来なくても気にならない。
子供を育てて、仕事をして、家事をしていると、日常でBくんが入ってくる隙はありません。
今や夫Cくんに不満タラタラですが(笑)それでも子供との生活が幸せすぎて、安心快適すぎて。
Bくんと結婚していたら、こんな安心は訪れなかっただろうと思います。
 
ということで、私はBくんを完全に忘れ去るのに9年ほどかかりました(笑)
逆に言うと、25歳の頃は一生忘れられないとしか思えなかったのに、9年経てば鬱陶しい存在に変わっていました。。
やっぱり子供の存在が大きいです。
結婚しても、子供を産む前までは、「Cくんとの結婚に後悔はない。でも世界で一番好きなのはBくん」とか思っていましたが、
今はそんな風に思いません。
基本的に子供がそんなに好きではない私だけど、子供がいる生活が幸せすぎて。
生活が一変したことで、日々の時間の中でBくんを思い出す要素が一切なくなりました。
 
Bくんは今、彼女がいますが、今でも私に「お前が一番だ」「結婚したかった」とLINEをしてくる人です。
要するに、彼女がいるのにそんなことを言うような糞な男です。
 
どんなに好きな人でも、次の恋、結婚へ向けての努力を怠らず、幸せを掴むことができれば、
いつか、いつかは必ず忘れられます!
自分の恋だけが例外とは思わないで。
悲劇のヒロインぶるのは勝手だけど、そのままだと前に進めないよ。
 
もしもその人が運命の人なら、いつかまた必ず出会うから。
安心して、次の人を見つけたらいいと思います。
 
今、大好きな人に振られて苦しくて、「一生好きな人なんてできない、結婚なんてできない」と思っている女子の励みになれば幸いです。
 
がんばれ、恋する女子!

気持ち新たに

久しぶりの更新ですが、気持ち新たに書いていきたいと思います。

36歳、一児の母です。結婚6年目、夫は3つ上、息子は2歳。

2016年4月に仕事復帰。マスコミ系の仕事を経て、IT系企業の総務・広報的な仕事を産前より引き続き。

文章を書く仕事も時々しています。

 

節約家の母に教え込まれたため、節約大好き。

食品でも服でも、最安値で買わないと気が済まないタチです。

ただしその時欲しいものもあるので、そのへんを加味して、

高くても今手に入れることに価値があると判断し、セールまで待てないものは買ってしまいます。

 

でも洋服やインテリア、雑貨が大好きです。

このへんも一応よく考えて、それでも欲しいものについては買います。

高いものはよーくよーく考えて、欲しいものは時期を見て買います。

 

平社員で時短勤務のため収入は低い方だと思います。

世帯年収は都内在住の平均か少し下だと思います。

 

ちなみに仕事復帰頃から自律神経失調症によるめまいぽい症状もあります。。

これだという自律神経の乱れの理由はわかりません…。

 

・節約方法、節約実績

・服

・雑貨、インテリア

・カフェ

・美味しいもの

自律神経失調症

・育児日記

・育児グッズ

・仕事日記

 

いったんこのあたりのごちゃまぜブログでやっていきますが、突然何かに特化したブログにするかもしれません。

どうぞよろしくお願いします。

SNSやめたい・・・

タイトルの通りです。FBやめたい。

 

すべて私にとっての話であり、万人にあてはまる話ではありません。

ただ、そう思った理由を友人が見ていないような場所に書き残して置きたかったので。。

 

私はほとんど投稿はしていません。現状、3〜4ヶ月に1度くらい。

友人に「今日の写真FBにアップしてー!」と言われた時のみ、みたいな感じになっています。

ほぼほぼ見る専。

 

私の中で、親友だと思えるくらいの友人は4人。

A子、B子→自ら近況を発信するタイプではない。見るためにIDを作っている的な人種。

C子→時々発信するが、遠出した時の子供の写真がメイン。

D子→FBのIDを作っていない。全くやっていない

 

ということで、この4人はほぼほぼFBをやっていない。

何かあれば直接連絡がくるし。

そしてこの4人以外の細かい近況は、特にリアルタイムで知る必要はないんじゃないかなって思ってきた。

会った時に聞けばいい話で。

そこまで多く会わない人については、特に近況を知る必要もないというか。

誰かから伝え聞く程度でいいのではないかと思う。

 

確かに、この4人以外でも、おめでたい話は聞きたいなーって思える人もいるし、自分にとって役に立つ情報をシェアしてくれる人もいる。

でも、、そのメリットを鑑みても、たいした話ではない情報、不要な情報が多すぎる。

私みたいに、目に付いた思わぬ何かが引き金になって、いらんことまで考え過ぎてしまうタイプの人間にとっては情報過多。

 

今までも上記のことはわかっていながら、でもやっぱり気になって見てしまう私がいた。

だいぶ頻度は抑えるようになってきたけども。

友人がFBにアップした報告を知らないのは失礼な気もしていた。

例えば、友人に子供が生まれたとき、友人が出産報告をFBで報告してたのに、私はそれを見ずに、

次に会った時に「えっ?!生まれたんだ!おめでとう〜。男女どっち?安産だった?!」ってなるのは失礼なことだと。

本当はそんなことないってのは分かってるんだけど。

知っといてあげるのが優しさ、というか。なんというか。そういう風に感じてしまっていた。

 

あと、小さい頃に仲間はずれとかされたことがトラウマになってるのか、

それともそもそも物事を知ることが大好きだからなのか、

マスコミに勤めていたので新情報をゲットすることに優越感を感じるのか、

基本、「自分だけ知らない」ことが怖い。私。

そのくだらない恐怖心もなくしていかなければ。

 

FBだけでなく、ネットのダラ見も同じ。

オンラインで何かを見ている時間、常日頃リアルタイムでつながっている必要のない人々に割いていた時間を

オフラインの有益な時間に変えていければと思います。

 

ネットは調べ物をするときだけ。

完全にFB断ちもするつもりはないけど、用事があるときだけログインしようと思います。

久しぶりに

はてなブログを開けてみました。
意外とアクセスがあってびっくり。ありがとうございます。
意外と妊婦のときの記事を読んでいただけているようで。
なんらかのお役に立てていれば幸いです。

なんだかとっても中途半端なままで気にはなっていたのですが、なかなか再開できず…。
最後のエントリーは予定日でしたが、その2日後に息子は無事に産まれました。
破水からはじまり、陣痛を待ち、本格陣痛が始まってからは6時間ほどで産まれ、
初産にしては安産な方だったようです。

そこからは、ただただひたすら毎日息子と向き合い、現在7ヶ月。
ハーフバースデーってやつも過ぎました。7ヶ月間、母として成長してきたつもりです。
里帰り中は、何も知らないくせに私と母の育児に口を挟む父と大ゲンカ。
父はとても変わった人だけど、20歳過ぎてからは子供のやることには文句を言わず、
全て尊重し見守ってきてくれた人だったんだけど。
親とは比較的うまくやってきた私にとって、まさかの出来事だった。
もう私の家はここではないのだなと実感。
一方、母親には大変助けられました。
都内の自宅に戻った今でも、時々埼玉から来てくれています。感謝しかない。

そして現在は離乳食に四苦八苦、ズリバイで動き回る息子を追いかける日々を送っています。

子供嫌いの私ですが、とりあえず今のところ、息子のことが大好きです。
みんなが、自分の子供を可愛いと言う理由がやっとわかった。
可愛いというか愛おしいという感情に近いんだろうなと。
そもそも女児を望んでいましたが、男児の可愛さもよーく分かり、
次に授かることができたらそのときまた男児でも嬉しい。
第3子という選択肢はないので、女児が持てなかったことにショックもうけつつも、
無事に産まれればそれも払拭するんだろうなと思う。
本人たちは同性の方が楽しいかな。とも思うし。

私自身は兄がいて、仲は良かったので異性でも良かったけど、姉がいる友達が羨ましかったもんなぁ。

妊娠、出産関連はアメブロでやってみているのですが、
最近やっぱりアメブロって性に合わない部分があるなぁと思い、どうしようかと思っているところです。

うーん。こっちに戻ってくるべきか。